「津波の記憶石」in NEBAMA Shore

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岩手県釜石市根浜海岸、宿「宝来館」の目の前に建てられた「津波の記憶石」。全優石が寄贈し昨年12月9日に除幕式が行われたもので、津波の記憶を刻み、恐ろしさを後世に伝え、二度とこのような被害が起きないよう願いが込められている。

御影石でできた高さ2m70cmの石碑には、正面に大震災の日付や教訓、QRコードも刻まれ、携帯で読み込めば津波の教訓や発生時の動画を見ることができる。

【石碑に刻まれた教訓の言葉】
「ともかく上へ上へ逃げよ。てんでんこで逃げよ。自分を助けよ。この地まで、津波が来たこと、そして、裏山へ逃げ多くの人が助かったことを、後世に伝えてほしい」

【The Words of Memorial Stone of the Tsunami buit at the Nebama Shore on Dec.9,2011】
Just run! Run uphill ! Don’t worry about the others. Save yourself first. And tell the future generations that a Tsunami once reached this point. And that those who survived were those who ran. Uphill. So run! Run uphill !

「てんでんこ」という記憶碑にも刻まれたこの言葉は、三陸海岸地域に伝わる防災伝承の言葉で「めいめいに」ということ。津波が来たら取る物もとりあえず肉親にすら構わず、とにかくばらばらに一人で高台へ逃げろ」という意味だ。

肉親にすら構わず、というと、そんなことはできないだろうと思ってしまうが、三陸が今まで経験した大津波で家族などを案じて家へと戻った人々の多くが犠牲となっている。今回の津波でもそうだ。誰もが自分の家族や友人、仲間たちを助けたいと当然ながら思う。しかし、それぞれが生きてさえすれば必ずまた再会できる。だからこそ一人一人が確実に生き延びるために全力を尽くさなければならない。「一刻も早くてんでんこで上へ走らなければならない」のだ。この言葉の陰にかくれた津波がもたらす想像を絶するほどの破壊力と恐怖を忘れてはならない。

かつて明治29年、昭和8年の大津波を経験し、ここ三陸海岸各地には津波記憶碑が約200基建っているという。しかし津波の痛みは世代ごとに風化し、人々は石碑よりも海側へと家を建てるようになった。

今の時代、写真も動画も誰でも簡単に写して加工できるし、インターネットを通じて簡単に情報が拡散できる時代となった。特に情報伝達に関する環境はそれらの時代からは大きく変わった。

しかし、未来の子孫たちが同じような被害に遭わないためにも、数百年後、そして千年後にも、子から孫へ世代を越えて確実に伝えていくためには、どうしなければならないのか。
CDやハードディスクの写真や動画データはきちんと管理をしなければ百年ですら残るものではないし、見て伝えられる機会がなければ有効には活用できない。石碑もそこにあることを忘れられては伝わらないだろう。

この経験と教訓を、継承文化や伝統の一部としてしっかりと編み込みながら、私たちにできることとは。それぞれが考えていかなければならない。

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